今回お話を伺ったのは……
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- 若狭町歴史文化課 永江寿夫さん(学芸員)
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- 若狭三方縄文博物館館長、若狭町歴史文化館館長を兼任。また地域住民とともに、若狭町のまちづくりに参画してこられました。
御食国(みけつくに)の若狭は昔からグルメの国
奈良の都・平城京付近を発掘調査したところ、それを示す木簡(もっかん;文字が書かれた木の札)がたくさん出てきたのです。若狭湾や小浜湾はリアス式海岸で、暖流と寒流も混じり合う良好な漁場環境です。若狭国は海があるため塩がとれ、お米もとれるグルメの国でした。
塩のほか、海産物はタイやカマス、ウニ、アワビ、ホヤなど、たくさんの種類を献上していました。木簡からは、魚をお鮓(すし)にしたり干したりと、保存食にして運んだこともわかります。(永江さん)
若狭から京都へ続く鯖街道~京は遠ても十八里~
やがて大衆魚としての若狭のサバが珍重され、大量のサバが京都に運ばれるように。塩を振りながら運ばれた新鮮な「若狭もの」で作った鯖寿司は、京都では祭礼に欠かせないごちそうとなりました。
また海は大陸にもつながっていますよね。鯖街道は大陸の人や文化も都へと運ぶ、交流の道でもあったのです。こうしたことから平成27年、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」は、第1期の日本遺産に認定されました。
小浜と京都を結ぶ道「鯖街道」は、古くから山越えのルートが幾筋もあり、それぞれの街道や峠道には呼び名がついています。ただし山道はかなり険しく、一番平坦な若狭街道が、大量の物資を運ぶために整備され、発展していきました。(永江さん)
古民家が並ぶ「鯖街道」の宿場町・熊川宿でひと休み
古民家を改修したお店で「鯖寿司」や「若狭牛」などの食事をしたり、土蔵を利用したカフェでほっこりしたり。熊川名物の「葛まんじゅう」も、ぜひ味わいたい一品です。
また文化財級の古民家をリノベーションしたレトロモダンな宿に泊まれることも、熊川宿の魅力の一つです。「八百熊川(YAO-KUMAGAWA)」では、1日4組限定の古民家のお宿を運営。スタイリッシュでありながら、どこか懐かしくホッとする空間でくつろげる宿として、注目を集めています。
熊川宿を起点に山や川へ出かけ、カヤックなどの川遊びやトレイルハイクも楽しめます。アクティビティの拠点としても最高な熊川宿は、今も現役の「宿場町」なのです。
熊川宿は「 人馬継立(じんばつぎたて)」と言って、物資運搬の中継地として栄えました。馬を替えたり、荷を積み替えたり、人は宿で休んだりしました。道幅は他の宿場町と比べてかなり広く、1日1000頭の牛馬が往来したという記録があります。その牛馬に水を飲ませるための水路も不可欠のものでした。
宿場として計画的な整備がなされて、大きく発展するきっかけをつくった人物が、この地を治めていた浅野長政です。天正17年、熊川宿に対し「諸役免除」つまり税金免除のお触れを出したことで、地域が飛躍的に活性化しました。(永江さん)
熊川宿
住所 | 福井県三方上中郡若狭町熊川 |
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交通アクセス | 舞鶴若狭自動車道 若狭上中ICから車で約15分 |
駐車場 | 有 |
電話番号 | 若狭町観光未来創造課 0770-45-9111 |
URL | https://kumagawa-juku.com/ |
信長も家康も通った! 熊川宿は歴史の交差点
この辺りは古代から交通の要衝でした。航海の玄関口である若狭湾にアクセスしやすいうえ、大和(奈良県)へ至る最短路にも位置していることから、古代の若狭の王の古墳があります。中世末の戦国時代には信長や秀吉、家康、光秀もやってきています。(永江さん)
若狭鯖街道熊川宿資料館(宿場館)
住所 | 福井県三方上中郡若狭町熊川30-4-2 |
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営業時間 |
9:00~17:00(4月~10月) 9:00~16:00(11月~3月)
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休館日 | 毎週月曜日、年末年始 |
料金 | 大人200円、中学生以下無料 |
電話番号 | 0770-62-0330 |
新しい風ウェルカム! Neo熊川宿も人気
熊川は建物だけを残すのではなく、昔の外観を大切にしながらも、住民が住みよい町をめざしてまちづくりをしています。背伸びをせず特性を生かし、人の温かさやのどかさも含め、訪れる人が気に入ってくださればと思っています。(永江さん)
Saba*Cafe
住所 | 福井県三方上中郡若狭町熊川12−16−2 |
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営業時間 | 11:00~16:00 (ラストオーダー15:30)
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定休日 | 火曜日・水曜日 |
駐車場 | 有 |
交通アクセス | 舞鶴若狭自動車道 若狭上中ICから車で約12分 |
URL | https://saba-cafe.com/ |